修習と離欲

ヨガを学び始めた初めの頃、教えていただいた先生がとてもすごい人で、ヨガの達人、聖人のような過大評価を持ちながら先生から学んでいたために、先生の人間らしい一面や、ちょっと感情的な一面を見たときに、ヨガを教えているくせに、聖人のようなことを言っているくせに・・と自分の中に勝手に先生に求めていた理想と現実の違いに怒りや苦しみを心に作り出したことがありました。

目の前にいる先生はただのヨガを伝えてくださっている先生であり、ヨガ的な生き方や知識を教えてくださっただけなのに、ありのままを見れず、先生に理想をぺたぺたとくつけてくつけて、自分の心が、良い悪い、好き嫌いの判断を勝手に行って、心に苦しみを勝手に作り出していたことにさえ気付けずにいた自分・・心が勝手に動いて判断してしまっていただけということにさえ気付けなかったこと。

これこそ無知だった・・・と今は思っています。

私にヨガを教えてくださった先生方、すべての方々に今は感謝とともに、私も人間らしく悩んだり苦しんだり、楽しんだり、しながらも、常に自分に張り付き、自分に気付く、ヨガの修習を忘れないように・・・自分の中に苦しみを作り出す欲や心の動きをどんどん手離しながら生きていけたら・・・と思いますが、欲は苦しみを感じないと必要ではなかったとはなかなか気付けません。。。そんなまだまだ未熟な自分がおります。笑